お金は楽に人生を生きるために必要な手段であるだけ。
クジラです。
結論から言います。
苦労は買ってでもしろ、は嘘です!
なぜ、私たちは働くのか?
それは、お金という、未来へのわずかな補償を手に入れるためです。
人生の方向性を違えると、大変です。
何のために、働いているのか?それについてはすべての働く人は今一度自分なりの働く理由を深く思い起こす必要があります。
仕事にやりがいをもつのは悪いことではないでしょう。
ですが、生きるのを仕事だけに消費するのは確実に間違っています。
他にも、病気や、ケガなどはしないにこしたことはありません。
(望んで病気やけがを負うことはないでしょうが。)
例えば、もらい事故、交通事故でケガをしていくばくかの賠償金を
もらったとしても、トータルの人生では完全にマイナスなのです。
それによって失った時間、与えられてた心身へのダメージはマイナス勘定です。
(余談ですがクジラは追突事故で頸椎捻挫でひどい目にあいました。ほんとに全てがマイナスです。(# ゚Д゚))
そして、もう一つ、冒頭の買ってまで欲しい苦労、について。
苦労、という表現ですが、ストレス、重圧などと言葉を変えてみるとどうでしょう。
若いうちの苦労は、ヒトを一回り大きくする、だとか成長するために必要なモノだとか苦労をすることはいいことで、一人前の大人になるために不可欠であるようないいようですね。
でも、ストレスや重圧で心を押しつぶして何を得ると言うのか?
人は死んだら終わりです。
あの世があるやらは知りませんが、死んだら終わりなのは間違いないでしょう。
苦労して得た資産も富も、地位も名誉も、築いてきた他の人との関係性から何から一切合切が失われるのです。
失ったアノ人は私の心の中にいるから。とかいう甘いことはさておきます。
生まれて、食って寝て、生きるために私たちは生きている。ただそれだけのハズです。
じゃあ、どうせよというのか?
カンタンです。
自分が納得する生き方をすればいいのです。
仕事がキツかろうが、見返りにいくばくかの対価を得るでしょう。
仕事で拘束される時間があり、仕事のない休みの日は原則拘束がないでしょう。
どこで、折り合いをつけるか。です。
対価が釣り合わないと感じれば、成り立たないし、拘束がわりに合わないというなら、同じく成り立たないのです。
ここで、多少キツクとも折り合いがつくなら辛抱するのも一つです。
クジラは今、だいぶんキツイですけど、辛抱して働いています。
得た対価でこの先の未来でその分楽をするためにのみ、働いています。
長生きをすれば得か、太く短く生きるのが得かなどはわかりませんが辛い分、未来で楽を出来たらいいなと思います。
報われるかどうかは神の味噌汁ですけども。